1時間目 花巻市ってどんなところ
1時間目 花巻市ってどんなところ?
花巻市ってこんなところ!
みんなが住んでいる花巻市(はなまきし)は、平成18年1月1日に、花巻市、大迫町(おおはさままち)、石鳥谷町(いしどりやちょう)、東和町(とうわちょう)が合併(がっぺい)して一つの大ききな市して誕生(たんじょう)したんだよ!
合併した新しい花巻市は、約10万6千人が住むまちで、広さが908平方キロメートル!岩手県(いわてけん)では、4番目に大きなまちなんだ。
花巻市は、岩手県のほぼ、まん中にあるのよ!西にひろがる奥羽山脈(おううさんみゃく)や東の北上山地(きたかみさんち)に囲(かこ)まれた自然(しぜん)いっぱいのまちです。
そして、県庁(けんちょう)がある盛岡市(もりおかし)へは、北(きた)へ35キロメートル、おとなりの北上市(きたかみし)へは、南(みなみ)へ13キロメートルです。
まきおくんが、花巻市の場所(ばしょ)を赤くぬってくれたので、みんなもどこにあるか見てみようね!
花巻市はとっても自然(しぜん)が豊(ゆた)かなところなんだよ!
市内の中ほどを流れる北上川や早池峰山(はやちねさん)から流れる猿ヶ石川、稗貫川などたくさんの大きな川が流れていたり、早池峰国定公園(はやちねこくていこうえん)や花巻温泉郷県立自然公園(はなまきおんせんきょうけんりつしぜんこうえん)など、県(けん)を代表(だいひょう)する豊かな自然環境(しぜんかんきょう)が広がっているんだ!
そして、みんなのお父さんやお母さんが大好(だいす)きな温泉(おんせん)もたくさんあるんだよ。
まだまだ、すごいところがたくさんあるわよ!
「注文の多い料理店」(ちゅうもんのおおいりょうりてん)や「どんぐりとやまねこ」などのお話しを作った、宮沢賢治(みやざわけんじ)さんや「もたれて立つ人」や「赤い目の自画像」(あかいめのじがぞう)など、とても不思議(ふじぎ)な絵(え)を書く画家(がか)の萬鉄五郎(よろずてつごろう)さんなど、世界(せかい)に広く知られている有名(ゆうめい)な人が住んでいたところなのよ。そして、みんなも花巻祭り(はなまきまつり)とかで見たことがあるかなあ?早池峰神楽(はやちね
かぐら)や鹿踊り(ししおどり)などの郷土芸能(きょうどげいのう)もたくさんあるし、お父さんの大好きなお酒(さけ)をつくる南部杜氏(なんぶとうじ)や古(ふる)くなったぬのを材料(ざいりょう)にして作るさき織(お)り、ヒツジの毛(け)をたくさんつかってきれいな洋服(ようふく)などを作るホームスパンなど、すごく優(すぐ)れた技術(ぎじゅつ)もたくさん伝(つた)えられているのよ。
市章(花巻市のマーク)
市章(ししょう)ってなあに?
市章(ししょう)とは、まちのマークです。みんなの学校にもマークがあるように花巻市にもマークがあるのよ。花巻市の市章はブルーとオレンジの2色が特徴のマークなのね。
花巻市の市章は、合併(がっぺい)してできた新(あたら)しいまちの将来(しょうらい)を考えて作られたのよ。
4つのブルー
市章のブルーは、花巻(はなまき)大迫(おおはさま)石鳥谷(いしどりや)東和(とうわ)という4つのまちが1つになったことと、
早池峰山(はやちねさん)からふいてくる、さわやかな風(かぜ)、そして新しいまちの発展(はってん)を表(あらわし)ているんだよ。
中心(ちゅうしん)のオレンジ
新しいまちの安(やす)らぎと活力(かつりょく)、そして、ここに暮(く)らすみんなの情熱(じょうねつ)を表しています。
安心(あんしん)で、元気(げんき)いっぱいのまちになるように、考えてつくったんだね!
新市(しんし)の将来像(しょうらいぞう)
花巻市の将来が、こうなればいいなと願(ねが)いをこめて作ったキャッチフレーズを紹介(しょうかい)します。
キャッチフレーズ
早池峰の風薫る 安らぎと活力にみちた イーハトーブはなまき
(はやちねのかぜかおる やすらぎとかつりょくにみちら いーはとーぶはなまき)
花巻市の「花・鳥・木」
花巻市の花は「ハヤチネウスユキソウ」
ハヤチネウスユキソウは、きいろいお花をつける、キク科(か)のお花なのよ。そして、早池峰山(はやちねさん)にだけ咲(さ)くお花なんだって!
こういう、高(たか)いところに育(そだつ)植物(しょくぶつ)を高山植物(こうざんしょくぶつ)っていうのよ!
ハヤチネウスユキソウの花は、真中(まんなか)のきいろいところが花で、花びらのように見える、星(ほし)のかたちをした白い綿(わた)につつまれた部分(ぶぶん)は、葉(は)っぱなんだって!おもしろいお花でしょ。でも、かわいいからわたしの大好(だいす)きなお花です。
花巻市の鳥は「フクロウ」
フクロウは、花巻市内のどこでも見ることができる鳥です。でもフクロウは夜行性(やこうせい)といって夜になると元気(げんき)に空を飛ぶ鳥なんだ!明るい時は、おひるねでもしてるのかなあ。
フクロウのすごいところを教えるよ!フクロウの目は、とってもよく見えるんだ!人間(にんげん)の100倍(倍)も見えるんだって!、さらに、耳もすごく聞(き)こえるだよ。
そして、なんといってもフクロウは、知恵(ちえ)のある鳥とか、福(ふく)を招(まね)く鳥としてみんなに大切にされているんだ!
ぼくも、フクロウさんを大切にするから、知恵がいっぱいついて頭がよくなったり、たくさんの福がこないかな。
花巻市の木は「コブシ」
コブシの木は、春(はる)のあたたかくなったきた時に、咲く花です。
でも、なんで「コブシ」っていう名前かしってるかい!
じつは、実のかたちが、人間の手をグーにした、にぎりこぶしのかたちにそっくりなんだ、だから「こぶし」っていうんだって。
花の色は真っ白(まっしろ)で、春になると桜(サクラ)の木よりも早く、一番(いちばん)最初(さいしょ)にたくさんの花を咲かせる木なんだ!そして、コブシはとても大きく育つ木で、大きなコブシの木が花を咲かせると、真っ白い花が青空にぴったりのさわやかな、ながめになるんだ!
花巻市民の歌(うた)
花巻市民の歌は、市民歌制定委員会(しみんかせいていいいんかい)などの歌をつくる委員会(いいんかい)で話(はな)し合いをして平成19年12月20日に決定(けってい)してできた歌なのよ。
歌詞(かし)は、全国(ぜんこく)から募集(ぼしゅう)して、53も集(あつ)まった作品の中から花巻市松園町の大塲建次(おおばけんじ)さんの作品が選ばれました。そして曲(きょく)は、東京都(とうきょうと)の服部克久(はっとりかつひさ)さんに作っていただきました。
出来上がった市民の歌は、新鮮(しんせん)で柔(やわら)らかくて、みんなで楽しくうたえる歌なのよ。
みんなも、いろいろなところでうたってみてね!
学校の帰(かえ)りに、みんなでうたって帰るのも楽しいかもね!
花巻市民の歌
作詞 大塲健次
作曲 服部克久
1 追い求めたりしなくても
透明の風の中に君はいて
ほら いつも微笑んでいるよ
一番大切な場所 一番大切な人
一番大切な時間
それがイーハトーブはなまき
やっぱり君が一番
2 立ち止まって見渡せば
すぐそばに 驚く程すぐそばに
探してた夢が見つかるよ
一番守りたい場所 一番守りたい人
一番守りたい心
それがイーハトーブはなまき
やっぱり君が一番
イーハトーブはなまき
やっぱり君が一番
花巻市民の歌の楽譜(がくふ)をダウンロード ( PDFファイル ,104KB)
花巻市の偉人(いじん)
偉人ってなあに?
偉人とは、みんなが尊敬(そんけい)するような、すごい事(こと)をやった昔(むかし)の人のことをいいます。
ここでは、宮沢賢治(みやざわけんじ)さん、新渡戸稲造(にとべいなぞう)さん、高村光太郎(たかむらこうたろう)さん、萬鉄五郎(よろずてつごろう)さんの4人をみんなに紹介(しょうかい)するよ!
宮沢賢治
宮沢賢治さんは、明治(めいじ)29年今から110年以上(いじょう)前の(1896)8月27日に花巻市で生まれました。賢治さんは、花巻農学校(はなまきのうがっこう)現在(げんざい)の花巻農業高等学校(はなまきのうぎょうこうとうがっこう)で先生をしながら、たくさんの詩(し)や童話(どうわ)を作りました。
30歳(さい)で農学校(のうがっこう)の先生をやめて、賢治さんは農家(のうか)になり、羅須地人協会(らすちじんきょうかい)という建物(たてもの)で生活(せいかつ)をはじめました。
そこでは、農民講座(のうみんこうざ)という教室(きょうしつ)をはじめて、青年たちに農業(のうぎょう)を教える生活をしていましたが、昭和8年(1933)年9月21日に37歳という若さで亡(な)くなりしました。
童話や詩で知(し)られる宮沢賢治さんですが、先生や農業、さらに天文(てんもん)・気象(きしょう)・地理(ちり)・歴史(れきし)・哲学(てつがく)・宗教(しゅうきょう)・化学(かがく)・園芸(えんげい)・生物(せいぶつ)・美術(びじゅつ)・音楽(おんがく)など、いろいろな才能(さいのう)がありました。
新渡戸稲造
新渡戸稲造さんは、5,000円のお札(さつ)に描(えが)かれていたことがとても有名(ゆうめい)なのよ。
稲造さんは、文久(ぶんきゅう)2年(1862)今から140年以上前に盛岡(もりおか)に生まれ。38歳にアメリカに行って書(か)いた英語(えいご)の文の『武士道(ぶしどう)』は、日露戦争(にちろせんそう)を終(おわ)らせるために役立(やくだ)ちました。
稲造さんは、58歳で国際連盟(こくさいれんめい)初代(しょだい)事務次長(じむじちょう)になって、世界(せかい)の争(あらそ)いごとを解決(かいけつ)したユネスコという組織(そしき)をつくったのよ。
高村光太郎
高村光太郎さんは、 明治16年(1883)今から120年以上前に東京(とうきょう)に生まれ。24歳の時にアメリカで彫刻(ちょうこく)を学び、ロンドン、パリ、イタリアで生活(せいかつ)して日本にもどってきました。そして、大正(たいしょう)3年(1914)12月に長沼智恵子(ながぬまちえこ)さんと結婚(けっこん)しました。
しかし昭和(しょうわ)13年(1938)に智恵子さんが52歳で病気(びょうき)で亡くなりました。それから昭和16年(1941)光太郎さん59歳で詩集(ししゅう)、『智恵子抄(ちえこしょう)』をいう本をつくり、大勢(おおぜい)の人たちに読んでもらうことができました。
昭和20年(1945)5月には、知り合いだった宮沢賢治さんの縁(えん)を頼(たよ)りに花巻で暮(くら)していただんよ。
萬鉄五郎(よろずてつごろう)
萬鉄五郎さんは、明治18年(1885)今から120年以上前に東和町(とうわちょう)の土沢(つちざわ)に生まれ。子どものころから絵(え)が好(す)きで、東京美術学校(とうきょうびじゅつがっこう)に入学したのよ。
力強(ちからづよ)い色づかいと、大胆(だいたん)な筆(ふで)づかいで書いた、美術学校を卒業(そつぎょう)するときの作品「裸体美人(らたいびじん)」は、日本の絵をすばらいものに発展(はってん)させた作品といわれています。土沢の風土(ふうど)と西洋(せいよう)の新しい美術のかたちをまぜあわせて、鉄五郎さんの絵は書かれていたのね。