宮沢賢治の童話作品のなかに「なめとこ山の熊」という作品がある。

『なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢川はなめとこ山から出て来る。なめとこ山は一年のうち大ていの日はつめたい霧か雲かを吸ったり吐いたりしている。まはりもみんな青黒いなまこや海坊主のやうな山だ。山の中ごろに大きな洞穴ががらんとあいている。そこから淵沢川がいきなり三百尺ぐらいの滝になってひのきやいたやのしげみの中をごうと落ちて来る。………』

 昭和二年頃(推定)、宮沢賢治30歳ころの作品である。この作品は、速筆でほとんど一息に書き終えたと考えられ、推敲あとがほとんどなく、繰り返し推敲を重ねた賢治にしては珍しい作品であるといわれている。表題は当初「なめとこ山の熊の肝」であったといわれている。

 ものがたりは、生活のために熊を捕っていた小十郎が最後は熊に殺されてしまう悲しいものがたりである。「なめとこ山の熊」の一節に、「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが、畑はなし、木はお上のものにきまったし、里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生まれたが因果なら、おれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生まれなよ。」

 なめとこ山の熊を捕って生活の資にしなければならなかった山男に題材をとったのかどうかわからないが、自然界の動物を捕らなければ人が生活していけない矛盾さを強く感じさせるものがたりである。


 この童話のタイトルにもなっている「なめとこ山」は、前田小学校から西へ約10キロメートルほど入った学区内近くの山だ。この山は、いまだに熊も住んでいる深い山つづきの山である。前田小学校の学区でもある鉛には「鉛温泉」という温泉があるが、鉛の湯の昔の看板に「熊の肝」というのがあったそうだから、なめとこ山には昔熊がたくさん住んでいたであろうことは想像できる。

幕館橋にある「なめとこ山」の看板
 そのような自然がいっぱいの地に前田小学校はある。人間も熊も自然界の生き物に変わりない。今ではなめとこ山の熊を捕らなければ生活できないという時代ではないが、自然を大切にするきもち、自然に感謝するこころをこれからも大切にしたいものである。 
幕館橋から「なめとこ山」を望む