太田の名所のページへようこそ 本文へジャンプ
高村山荘


イメージ イメージ イメージ
高村光太郎先生が晩年を過ごした山荘

 高村光太郎先生は、昭和20年5月15日に、花巻市の宮沢賢治の実家に疎開してきます。その後、花巻でも空襲が激しくなり、太田の山口へと移り住んだのです。この小屋で、晩年の7年間を過ごしました。現在は、当時の小屋を守るために、周りをもう一つの小屋で覆い、大切に保存されています。疎開してきた日を記念して、毎年この場所で「高村祭」が行われているのです。
光太郎の「光」

 さて、これは一体なんでしょう?これは、光太郎先生が使っていたトイレの戸に彫ってある、「光」という字です。当時は電気も通っていない山村の中で暮らしていましたので、トイレの中に明かりを入れようと、彫刻家でもある光太郎先生が彫ったものです。
 現在は、ガラス越しにしか見ることはできませんが、「光」の字から差し込む明かりを想像しただけでも光太郎先生の暮らしの様子が見えてきそうです。
「雪白く積めり」の詩碑

 高村山荘からほんのわずか離れたところに、この詩碑はあります。毎年の高村祭が行われる場所にあります。
 この「雪白く積めり」は、光太郎先生が山荘に来て最初に作った詩です。また、光太郎先生は、彫刻や詩の他にも、山口小学校開校記念に「正直親切」という校訓を贈ってくださいました。
 「正直親切」の校訓は、現在、太田小学校に引き継がれ、その言葉通りの子ども達に育っています。



                                 ホームへ