市の紹介
花巻市の紹介
四季折々の風が香るまち
花巻市は岩手県のほぼ中央に位置し、総面積は908.32平方キロメートル。西に奥羽山脈、東には北上高地の山並みが連なる肥沃な北上平野に位置し、季節ごとに変化に富んだ自然風景が広がる美しいまちです。
市の西部には、奥羽山脈の渓谷沿いに湧き出る花巻温泉郷があります。周辺は県立自然公園に指定され、立ちのぼる湯けむりと深山の緑、目の前を流れる清流が、情緒豊かな風景を醸し出します。
北東部には標高1917メートル、北上高地の最高峰、早池峰山がそびえます。国定公園であるほか高山植物の宝庫として知られ、ハヤチネウスユキソウなどここでしか見ることのできない花々が、全国から訪れる登山客を魅了しています。
市の中央を流れる北上川をはじめ、それに注ぎ込む住んだ河川が、私たちに水辺の恵みをもたらします。奥羽山脈に源を発する葛丸川渓流では、奇岩や滝などの渓谷美と釣りや紅葉、森林浴を楽しむことができます。氷柱の太さでその年の米の作柄を占う「たろし滝」は、厳冬の風物詩となっています。周囲が45キロ平方メートルにもおよび人造湖、田瀬湖周辺は、ヨットハーバーやキャンプ場などが整備され、湖畔に咲くあやめがが私たちに初夏の訪れを告げます。
春夏秋冬、移りゆく季節とともに暮らすまち、花巻市。私たちのまちには、美しい風景があります。
また、宮沢賢治や萬鉄五郎などの世界的に知られる先人を輩出するとともに、早池峰神楽や鹿踊りなどの郷土芸能、日本三台杜氏のひとつ南部杜氏、さき織り、ホームスパン等の優れた技術が多く伝えられています。さらに、岩手県内唯一の花巻空港があり、東北新幹線新花巻駅や東北自動車道、東北横断自動車道などの高速交通網の整備されるなど、北東北の高速交通網の結節点という極めて恵まれた拠点性を有しています。
気象条件は、北上川を挟んだ低地帯の東部では内陸型盆地気象が強く、特に夏場における昼夜の温度差が大きく、冬期は比較的温暖で積雪量が少ないです。一方、西部の奥羽山麓は寒冷多雪の気候に支配され、12月から3月まで積雪もありますが、奥羽山麓にさえぎられるため、日本海側よりは少ない積雪となっています。
歴史
花巻市には、古代からの生活の場であったことを示す縄文時代の遺跡が数多くあります。
弘仁2年(811年)の「日本後記」に「陸奥国に和我、稗縫、斯波の三郡を置く」と記述されており、しばらくしてこの地方は、律令制度の下で安倍氏、藤原四代の統治を受けることとなりました。
その後、約400年にわたって稗貫氏や和賀氏などの治世下となり、稗貫氏は旧花巻市、大迫町、石鳥谷町、東和町(一部)にまたがった地域を、また、稗貫氏と姻戚をなす和賀氏は、現在の北上地方をはじめ旧東和町の大部分を治めていました。
江戸時代には、本地域を南部氏が統治しました。この地方は、盛岡藩の南端に位置し、軍事上の重要な拠点、穀倉地帯として、陸運・船運も発達し栄えてきました。
廃藩置県が行われた後は、明治22年(1889年)の町村制施行、昭和29年(1954年)前後の町村合併などを経て、花巻市、大迫町、石鳥谷町、東和町が誕生し、それぞれ特徴を生かしながら発展を続け、平成の大合併においては、平成18年1月1日、同1市3町による新設合併が実現したところです。
新花巻市の将来像
早池峰の風薫る 安らぎと活力にみちた イーハトーブはなまき
「早池峰の風薫る」
花巻市の豊かな自然環境の象徴として、地域の人々に愛され著名な山である「早池峰」に例え、四季折々の自然の風が薫るまちであること、また、それぞれの地域で保存伝承されてきた特色ある郷土芸能や伝統文化などの古(いにしえ)の風が薫るまちであることを表しています。さらに、交流のイメージとして「風」に例え、これまで以上に地域相互の交流と連携により、一体感の醸成と総合力を高めるまちづくりを進め、また、豊かな観光資源や交通の主要な拠点であることを背景に、全国各地から多くの人が集まってくる等、交流の原点となるまちとして、新たな風を起こすことを表しています。
「安らぎと活力にみちた」
住む人も、訪れる人も、美しい自然と温かな人情にふれ、健やかで安心・安全を実感できるまちであること、また、潜在する多様な地域資源の結集と、交流連携や協働により、未来に向かって産業や市民一人ひとりが活力にみちたまちを表しています。
「イーハトーブはなまき」
「イーハトーブ」は、宮沢賢治が想い描いていた豊かな地域社会の姿であり、新たなまちの目標とします。
また、「はなまき」は新市の名称「花巻市」をひらがなの表記によって、やさしくそしてやわらかく表しています。
花巻ゆかりの偉人
宮沢賢治(みやざわけんじ)
若くしてその才能を開花させ早すぎる最後を迎えた賢治
明治29年(1896)8月27日花巻市生まれ。宮沢賢治は花巻農学校で教鞭を執る傍ら、多くの詩や童話を創作しました。30歳で農学校を退職した賢治は独居生活に入り、羅須地人協会を設立。
そこで農民講座を開設し、青年たちに農業を指導したりしましたが、昭和8年(1933)年9月21日、37歳の若さで永眠しました。
童話や詩で知られる宮沢賢治ですが、このほかにも教育者として、農業者として、さらに天文・気象・地理・歴史・哲学・宗教・化学・園芸・生物・美術・音楽など多方面でその才能を発揮しました。
こうした賢治の足跡をたどることができる施設が花巻には点在しています。賢治の愛したふるさとをあなたも訪ねてみませんか。
新渡戸稲造(にとべいなぞう)
前5千円札に描かれた肖像画で知られる新渡戸稲造は、文久2年(1862)盛岡生まれ。38歳に渡米して書いた英文『武士道』は、日露戦争終結に役立ちました。58歳国際連盟初代事務次長となり、国際紛争を解決したユネスコを創設。
『武士道』には多くの花巻武士の心が書かれており、約8キロメートルの新渡戸ロードを歩いて顕彰することができます。
昭和8年(1933)10月15日没。享年72歳。
※花巻新渡戸記念館
藩政時代220年余りにわたって花巻に居住し、新田開発等地域開発に貢献した新渡戸氏の業績を紹介。
高村光太郎(たかむらこうたろう)
明治16年(1883)東京生まれ。24歳の時にアメリカで彫刻を学び、以後ロンドン、パリ、イタリアで過ごし帰国しました。大正3年(1914)12月に長沼智恵子と結婚しました。
しかし昭和13年(1938)智恵子が52歳で病没。昭和16年(1941)59歳で詩集、『智恵子抄』を刊行、大きな反響を呼ぶ。
昭和20年(1945)5月知人であった賢治の縁を頼り花巻に疎開移住し、晩年の7年間を過ごしました。
昭和31年(1956)、4月2日没。享年74歳。
※高村山荘
光太郎が花巻で生活を送ったのが高村山荘です。高村記念館はこの山荘から約150メートル離れ、光太郎ゆかりの品が展示されています。
TEL0198ー28ー3012
萬鉄五郎(よろずてつごろう)
明治18年(1885)花巻市東和町土沢生まれ。子どものころから絵に親しみ、東京美術学校に入学。
強烈な色彩と大胆な筆づかいによる卒業制作の「裸体美人」は、日本の前衛絵画の先駆的作品といわれます。土沢の風土と西洋の新しい美術表現を融合させた独自の画風を確立させました。
萬鉄五郎記念美術館のある土沢は今も芸術の薫り漂う町並みを残しています。
昭和2年(1972)5月1日神奈川県茅ヶ崎の自宅で死去。享年42歳。
※萬鉄五郎記念美術館
萬の油彩画・水墨画・素描やノート、書簡・写真や遺品などの作品・資料を所蔵しています。