鹿踊

鹿踊(ししおどり)

鹿踊の由来 

今から一千年余前、天暦五年(九五一)九月十六日=六十二代村上天皇の時代、鞍馬山附近に庵を建て修業していた京都東山の六波羅蜜寺の開祖である空也上人は、時折り庵の周囲に戯れ遊ぶ八頭連れの野鹿をことのほか可愛がって育てておりました。
鹿は、空也上人になつき、そばを去りませんでしたが、ある日、このうちの一頭が心ない狩人の弓矢で射殺されてしまいました。
上人は哀れに思い、これを貰い受けて埋葬し、その皮を村人に着せて鹿の遊び戯れる様に踊らせて冥福を祈り、供養したのが「鹿踊」の始まりと伝えられています。

見どころ

鹿踊の醍醐味は、群としてのダイナミズムにあり、その移動は時として急激であり、また動きの足さばきには技巧的なものがあり、鹿の躍動する様を取り入れたそのリズムは鮮やかで美しく、そしてこの足のリズムの美しさが芸の価値を決定する大きな要素の一つとなっています。もともと戸外の芸で草鞋ばきで踊るもので、紺脚絆に白足袋をはくのをよしとするのもリズムの美しさを引き立てるからであります。

形態

岩手県内の踊りの様式は大別して太鼓踊り系と幕踊り系に分けることができます。
 まず、太鼓踊り系は、前腰につけた締太鼓(羯鼓)を両手のバチで打ち、自身で歌い、そして踊るもので、他に囃子も歌あげもつきません。
他方、幕踊り系は、踊り手が身に太鼓をつけないで踊り、別に囃子歌あげとがあって、それにつれて身を覆う幕をゆるがして踊ります。
 また、花巻の鹿踊は、多くが前者の太鼓踊り系でありますが、装束については馬の黒い長毛をカシラのザイ(髪)とし、本物の鹿の角を立てる。カシラに妖味をかもしだしているのは濃密で長いこのザイであります。背に腰差しのササラと呼ばれるものを一対つけ、それが頭上高く抜いて立っている。これが太鼓踊り系鹿踊の特徴です。