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賢治と文学

宮沢賢治と童話の出会いは、小学校3年の時の担任、八木英三の話してくれた童話に感動したことに始まります。後に自ら「自分の童話の源には先生のお話が影響している」と語っています。
賢治は、15才のころ短歌を作りはじめました。入院中の看護婦との初恋、父との対立など、ことあるごとに歌っています。
高等農林3年の時に同人誌「アザリア」を発行し、短編、短歌を発表しました。賢治の童話は、国柱会に傾倒して家を飛びだし、上京した時にもっとも多く書かれました。国柱会を創設した田中智学の「芸術を通じて道を説く、これ真の芸術なり」という文芸観が賢治の執筆活動をうながしたからとも言われています。
花巻農学校に勤務した時期、賢治は実にのびのびと振る舞いました。農学校の校歌にあたる精神歌を始め次々に作詩作曲をおこない、いくつかの戯曲を書いて生徒たちに上演させたりしました。この時期は、賢治にとって、精神的に起伏や振幅に富んだもっとも心豊かな時間でした。
この頃すでに、短歌という形式から離れることを自覚していた賢治は、口語の自由詩「心象スケッチ」を書きはじめました。常に手帳と鉛筆を持って山野を駆け回りながら心に浮かんだ模様をものすごいスピードでメモしていた、というエピソードもあります。
賢治の生涯にとって一番大きな衝撃だった妹トシの死も、賢治の作品に大きな影響を与えました。
賢治の文学作品は、生涯の前半は短歌、童話の作品が多く、後半に詩(心象スケッチ)が目立っています。その他にも数々の俳句、戯曲などもあり、多彩な賢治の面がよくうかがえます。

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