先人コーナー展示替えのお知らせ
花巻市博物館では、花巻ゆかりの先人を紹介するコーナーを設けています。
昨年度は、渕澤能恵、佐藤隆房、薄衣八百藏の3人を紹介しましたが、今年度は多くの先人のうち、照井真臣乳、船越霊戒、谷村貞治の3人を取り上げます。
展示紹介
照井真臣乳(1873-1948)
明治後期から昭和初期にかけての花巻で活躍した教育者です。
明治28年(1895)3月に岩手県尋常師範学校を卒業し、里川口尋常小学校(のちの花城尋常高等小学校)の訓導となりました。この時の教え子の一人が宮沢賢治です。
勤勉で実直な人柄で生徒たちから慕われていた真臣乳は、花巻高等小学校や花巻尋常高等小学校で勤務したのち、大正12年(1923)に南城尋常小学校の校長に赴任し、花巻の教育分野に大きく貢献しました。
船越霊戒(1875-1947)
明治8年(1875)宮古市金浜で生まれた霊戒は、父親が現在の花巻市東和町安俵にある凌雲寺の住職になったのをきっかけに、東和に移り住みました。幼少期に菊池黙堂一門から南画を習い、絵の才能が開花します。
凌雲寺第21世住職となった頃から檀家に頼まれては絵を描いて渡すようになっていました。しかし、大正15年(1926)に凌雲寺本堂が全焼する火災が発生。霊戒は本堂再建のために北は北海道から南は台湾まで足を運んで、達磨絵を描いては即売会を開き、資金集めに励むようになります。
霊戒の描く豪快で力強い達磨絵は高く評価され、全国的に「達磨の霊戒」として有名になりました。
本堂再建のために奔走した霊戒は、その夢を叶えられぬまま72歳でこの世を去りましたが、後に孫弟子によって成し遂げられました。
谷村貞治(1896-1968)
谷村貞治は、日本語ワープロの前身と言われる漢字テレプリンタを開発し、日本の通信技術に大きな革命をもたらしました。
現在の花巻市石鳥谷町新堀に生まれた貞治は、電気技師として出世し、東京の蒲田で新興製作所を創立しました。太平洋戦争の激化に伴い、工場を疎開させたことから花巻での工場経営が始まります。
戦後、新興製作所で開発された漢字テレプリンタは、新聞社や放送局、証券会社といった全国にネット網を張る各業界、事業所に導入されました。
工場経営のほかにも、谷村学院の設立や公共事業への援助など、郷土の発展にも貢献しました。
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