総合文化財センター常設展示室の期間展示コーナーを更新しました
常設展示室に期間展示コーナーを開設しました。
早池峰の自然・文化・歴史・人のテーマから、企画展などで紹介した資料を展示します。
期間展示は、3か月程度で展示替えを行います。ぜひ、ご覧ください。
令和5年度の予定
期 間 |
期間展示コーナー1 早池峰の自然・文化・人 |
期間展示コーナー2 埋蔵文化財 |
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6月~8月 | 菅原隆太郎関係資料 | 安俵6区遺跡(東和地区) 出土石鏃 |
9月~11月 | 南部葉関係資料 | 花巻城跡(花巻地区) 出土瓦 |
12月~2月 | 若ノ海関係資料 | 立石遺跡(大迫地区) 出土土偶 |
3月~5月 | ベルンドルフ関係資料 | 安堵屋敷遺跡(石鳥谷地区) 出土朱塗り土器 |
期間展示コーナー1 早池峰の自然・文化・人



南部葉(なんぶは)は昭和55年の廃作(はいさく)当時、大迫町のみで栽培(さいばい)されていました。 17世紀初頭には既(すで)に大迫で栽培されていたという説もある葉たばこは、17世紀後半になると「大迫たばこ」として商品化され出回っています。
「南部葉」の呼称(こしょう)は、藩政後期(はんせいこうき)に他領(たりょう)へ移出(いしゅつ)され、他領産との区別(くべつ)から生じたと考えられています。
江戸では「辛いのに舌が荒れぬ」と花魁(おいらん)に好まれたことから「南部花魁たばこ」とも呼ばれていました。明治初頭には大迫商人が海外へ販路(はんろ)を開拓(かいたく)します。
専売制施行後(せんばいせいしこうご)は刻(きざ)みたばことして東北・北海道の漁民に愛用されていましたが、大正以降は紙巻たばこに押されて需要(じゅよう)を減らしていきました。
期間展示コーナー2 埋蔵文化財



花巻城跡は花巻市中心部付近の北上川西岸にあり、西から張(は)り出した河岸段丘(かがんだんきゅう)の東端(とうたん)に築(きず)かれた城です。城の北・東・南側の三方(さんぽう)は瀬川(せがわ)・北上川(きたかみがわ)・豊沢川(とよさわがわ)に囲まれており、低地(ていち)との比高差(ひこうさ)は最大で10m以上の崖(がけ)となり、進入者を阻(はば)む天然の要害(ようがい)となっています。西側は唯一(ゆいいつ)の地続きのため、南北約355m・幅約30~50mの巨大な濁堀(にごりぼり)で段丘(だんきゅう)を断(た)ち切(き)っています。
城内(じょうない)は堀(ほり)や土塁(どるい)で区切(くぎ)られ、北から南へ本丸(ほんまる)・二之丸(にのまる)・三之丸(さんのまる)の順に曲輪(くるわ)が配置(はいち)され、城全体の規模(きぼ)は東西約690m・南北約510mです。標高(ひょうこう)は約85mです。
もとは稗貫(ひえぬき)地方を治めた稗貫氏(ひえぬきし)の居城(きょじょう)・鳥谷ケ崎城(とやがさきじょう)であり、近世(きんせい)には盛岡藩(もりおかはん)と仙台藩(せんだいはん)の境(さかい)に位置する重要な城として明治期(めいじき)まで存続(そんぞく)しています。花巻城は、明治6年の廃城(はいじょう)以降、民間(みんかん)に払(はら)い下げられたことにより、城内の大部分が開発(かいはつ)され、現在は本丸周辺の水堀跡(みずぼりあと)や二之丸の土塁跡(どるいあと)・平成7年度に復元(ふくげん)された本丸西御門(にしごもん)などに城の面影(おもかげ)を残しているだけとなりました。しかし、地中には中世(ちゅうせい)から近世(きんせい)にかけての遺構(いこう)がよく保存されており、過去、発掘調査(はっくつちょうさ)やレーダー探査(たんさ)などでも毎回多くの新発見があります。

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このページに関するお問い合わせ
花巻市総合文化財センター
〒028-3203 岩手県花巻市大迫町大迫第3地割39番地1
電話:0198-29-4567 ファクス:0198-48-3001
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