諏訪沢森のツツジ

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ページ番号1008411  更新日 平成31年2月21日

諏訪沢森のツツジ(大迫郷上教育資料)

諏訪沢森の山頂には、一本の大きな老杉が天をついて立っていて、傍らには駒形さんをお祀りした、小さなお堂がある。このお堂は、いつの時代か芦毛の馬を生き埋めにして、勧請したのだと伝えられている。
諏訪沢森の頂上に立つて展望すると、東に早池峰山をはじめとする北上山地の山々、西には奥羽山脈を眺めることができ、稗貫川の盆地と北上川の平野の一部も眺望の中に入ってくる。
この山の西側半面には、松杉がうっそうと茂っているが、東南の半面にはツツジが一面に繁茂していて、五月のころは紅色に燃えるがごとくで、壮観、美観、筆舌につくしがたいほどであった。しかし、その美しさを眺めるのに最もよい場所は、西北の山麓の川村家の座敷であるといわれていた。それには次のような伝説がある。
昔むかし、市女笠を深くかぶり、人目を避けてひそかに川村家をたずねてきた一人の上ろう(尊い身分の女性)があった。川村家では大変驚き、かしこみ、光栄に思いながら、まずは傍らの池にご案内をして、
「どうぞここで御足をお洗い下さい」
とすすめ、奥の座敷へと招き入れた。やがて、鑑の普請をして、極めて丁寧におもてなしをした。上ろうはいつしか「鈴鹿の御前」と呼ぼれるようになり、村の人々の同情と尊敬を集めていた。
幾度か春が過ぎ、そして秋がやってきた。しかし、鈴鹿の御前は一歩も外へは出られなかった。村人たちは御前の身の上を非常にお気の毒に思い、その心をお慰めするために、御前のいます御座敷からよく見える諏訪沢森の半面に御前の日ごろお好みであったツツジを植えたということである。それからは、毎年ツツジが咲き乱れ、その美しさは「諏訪沢森のツツジ」と称賛されるようになったという。
村人たちの厚い心遣いもむなしく、その御前はまもなく世を去ってしまわれた。村人たちはこれを大迫の上の台という所に厚く埋葬して、塚の上に小祠を設けて鈴鹿明神と称え、そのまわりには杉や栗の木を植えた。
何十年か経って、本宿の集落にかかっていた橋が流れてしまつたため、その塚から杉を切って橋を作ったが、罰があたったのか橋から落ちて水死する者も出た。また、あるときには塚の上に繁茂している杉や栗の木のために、まわりの畑が日陰になつてあまり良い作物が取れないことから、小祠を近くの森に移して樹木を切り払おうとした。そのため、まずその可否について巫女に尋ねることにした。しかるに、
「ここから動きとうない。」
という御託宣が出たため、ついにそのままとしたという。後に、里人は「鈴鹿の御前」とは、実は源義経を追ってやつて来た「静御前」ではなかつたかと噂しあった。

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