弘法の井戸

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ページ番号1008413  更新日 平成31年2月22日

弘法の井戸(亀ヶ森村誌抄)

昔むかし、弘法大師(空海)が仏教の布教のために、諸国を巡っていた頃のことである。
一人の身なりの貧しい僧が、現在の紫波町佐比内字細峰あたりに差しかかった。折しも、真夏の暑い暑い日であつたので、僧は大変に喉の渇きを覚え、道のそぼの民家を訪ねて、
「水を一杯もらえまいか」
とお願いした。その農家には一人の少女がいて、機織りの真つ最中であった。少女は、この貧しそうな僧のために、機織りを止めて水を差し出すのが面倒になり、僧に向かってつっけんどんに、
「水無し」
と断った。さすがの僧も不満の色を浮かべながら、
「そうか、ここは水無しか」
と答えて瓢然と立ち去った。それ以来、この付近の井戸は枯れ、やがて近くを流れていた川の水さえも、干上がつてしまったということである。今でも、川の跡らしき所は残っているが、やはり水は一滴も流れておらず、その名も「水無川」といっている。
僧はさらに3キロほど歩いて、亀ケ森の番屋というところで、やっと民家にたどり着き、ここで、また水を所望した。中には、一人の老婆がいたが、日頃から熱心な仏教の信者であったため、僧侶の姿を見るとすぐに、
「さぞかしお疲れでしょう、まずまずお休み下され」
と招き入れた。そして、前に汲んで置いてあった水では生ぬるかろうと思い、急いで遠く離れた山麓まで行って、冷たい水を汲み、休んでいた僧にすすめた。僧は、さきの少女の態度と比べて、この老婆の親切なふるまいにあらためて感激し、
「ご老体の身で毎回遠くから水を汲んで来るのでは大変であろう。おいしい水が湧き出るようになるから、ここに井戸を掘りなさい」
といって持っていた錫杖で地面を指した。その指示にしたがって掘ったのが今の番屋の井戸である。村の人々は、
「その僧侶はきっと弘法大師さまだったのだろう」とうわさし、その井戸を「弘法授けの井戸」または「弘法井戸」と呼んだ。深さ二尺(約60センチ)ぐらいで、面積は二坪ほどの井戸であるが、どんなかんばつのときでも枯れたことはなく、夏は冷たく冬は暖か、水は透明にして水質良好と言われている。

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