花巻城本丸跡内容確認調査の結果をお知らせします(令和4年度)

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ページ番号1017949  更新日 令和6年3月7日

令和4年度、花巻市教育委員会では花巻城本丸跡で内容確認のための発掘調査を実施しました。平成30年度から継続して実施しており、4回目の調査です(過去の調査結果は下記のリンクをご覧ください)。

今年度も本丸御殿跡の発掘調査を行っています。本丸御殿は盛岡藩主の御成りの場であり、盛岡藩の支城としての行政拠点でもありました。下に示した絵図面は花巻御給人である松川家に所蔵されていた「本丸御殿図」です。本丸御殿の絵図面は複数種類が現存していますが、これはそのうちでも発掘調査の結果とよく適合すると考えているものです。建物の桁方向(建物の長手方向)が途中で屈曲しているのが特徴で、御殿の改築を伺わせます。これによれば、本丸御殿の構造は、大きく西棟と東棟とに分けられ、両者の間には渡り廊下が存在していることが確認できます。今年度の発掘調査区は、その東西建物にまたがると推定される位置において、公園散策路を挟む二ヶ所に設定しました。調査期間と面積は次のとおりです。

【調査期間】
令和4年8月22日(月曜)から11月11日(金曜)まで

【面積】
272平方メートル

花巻城本丸御殿の絵図面
松川家「本丸御殿図」
花巻城本丸跡発掘調査の空中写真
令和4年度 発掘調査区 空中写真(東から)
花巻城本丸跡発掘調査の空中写真
令和4年度 発掘調査区 空中写真(南から)

1.発見された主な遺構

(1)集石遺構(しゅうせきいこう)

礫が多量に入った土坑や、礫が集中して検出された場所を「集石遺構」と呼んでいます。これまでも確認されている本丸御殿の土台跡と帯状に延びる性格不明の集石とがありました。

本丸御殿の土台跡の集石(以下「土台跡」と呼称)

直径約50センチメートルから1メートルの範囲に礫が密集しているもので、今回新たに16基を検出しました。礫は、礎石下の根固め石で[栗石]といいます。過去の調査では次の特徴点が確認されています。

  • 規模が比較的均質で、形状は円形が大半である。直径1メートル程度のものが多い。
  • 土坑を掘って、中に礫を入れている。
  • 礫の上面を平坦に整えるものがみられる。
  • 周囲に白色の粘土が確認されるものがある。
  • 連続的な配列をするものは、中心間の距離がおよそ1.9メートルと均質である。

しかしながら、今回検出したもので周囲に白色粘土が分布するものは確認されていません。また、栗石が入る土坑の深さや形状は、これまで十分に把握できていませんでしたが、今回の調査で確認できたものがありました。それによると、深さは20~30センチメートル程度で、ボウル状の土坑内部に石を充填していたことが確認できます。

また、以前より地表面に露出し、「礎石ではないか」と言われていた巨礫についても調査を行いました。巨礫の周囲を精査したところ、直径1.5メートルの円形土坑の内部に据え置かれたものであることが確認されたのです。そして、この巨礫も土台列を構成する遺構の一つであることが明らかとなったことから、礎石であると確定しました。他の土台跡の礎石が失われている中で、これは重厚であるため動かされずに残ったものと考えられます。今回の調査では、他にもう一つ礎石とみられる巨礫が出土しています。よって、礎石を加えると18基の土台跡を検出したことなります。

本丸御殿の土台跡の写真

本丸御殿土台跡の礎石

帯状に延びる集石

下の写真は土台跡とは異なり、帯状に延びる集石遺構です。東西の長さが3メートル、幅が約70センチメートルの規模です。これ以上は検出されなかったため、性格は不明です。形態的に見れば、建物の軒先からの雨滴を受ける「雨落ち石」である可能性も考えられそうです。

帯状に延びる集石遺構
帯状に延びる集石遺構(北から)

(2)整地層の造成状況について

北側に向かって傾斜する構築面の地形

西側調査区では、本丸御殿の構築面に傾斜が確認されました。北側の段丘崖に向かって5メートル当たり約30センチメートル下がる緩やかな傾斜です。これと同様の状況は、昨年度実施した御殿南西部の発掘調査でも確認されており、南側に向かって緩やかに傾斜していました。降雨時などの水はけを考慮して、御殿建物部分の構築面を周囲よりも若干高く設計しているものと推測されます。下の図は、この傾斜状況を記録したもので、南側は等高線が少なく平坦であるのに対し、北側は等高線が複数入り傾斜が生じていることが分かります。

西側調査区で確認した地形傾斜図
西側調査区の構築面傾斜状況

御殿構築面の東西での高低差

東側調査区では、本丸御殿の構築面に段差が確認されました。これまでの調査実績では、本丸御殿の建物構築面は、表土の直下約10センチメートルで検出されていました。今年度は下の写真のとおり、東側調査区の西半分は表土直下で構築面が確認できたのに対し、東半分では表土上面から約40センチメートル下でなければ構築面が確認できなかったのです。また、両者の構築面の境界には明瞭な段差を生じていました。つまり、本丸御殿の構築面の高さは、「西側が高く」「東側が低い」という位置関係にあることが判明したのです。この段差部分が、本丸御殿のどの場所に相当しているのかについては、後述します。

東側調査区で確認された構築面の高低差の写真
東側調査区で確認された構築面の高低差(北から)
東側調査区で確認された土台列と構築面の高低差の図面
東側調査区で確認された土台列と構築面の高低差

(3)焼土遺構について

本丸御殿東棟の範囲と推測される場所に東西3.5メートル×南北1メートルの試掘トレンチを設定し、掘り下げを行いました。松川家の本丸御殿図によると、東棟は、台所施設があった建物で、「釜」の表記がみられますので、炊事用のカマドが存在したと考えられます。

調査の結果、表土上面から50~60センチメートル下で固くしまった礫混じりの褐色土層が検出されました。この層の上面では焼土遺構・土坑・集石が検出され、本丸御殿の遺構構築面に相当するものと考えられます。

焼土遺構は2基検出しています。焼土遺構とは、火熱により地面が赤く変色したものです。形状は、全体の一部分の検出となりますが半円形で、規模は直径が約40~50センチメートルです。

問題は、これらの焼土がカマドの遺構であるかどうかです。焼土が所在する位置は、松川家の絵図面に「釜」と書いている場所と比べると外れているようです。よって、現状ではカマドの遺構と即断することはできません。しかし一方では、長年の台所施設利用の中でカマド位置に移動が無かったとも言い切れないことから、古い時期のカマドの遺構である可能性も考慮しておかなければならないでしょう。

焼土遺構の平面図と写真
東側調査区のトレンチで検出された焼土遺構(写真は南西から撮影)

2.発見された主な遺物

遺物の出土量は多くはありませんでした。内容は、近世陶磁器、いぶし瓦、和釘、寛永通寶が出土しています。陶器は19世紀以降の在地産とみられるものが主体です。磁器は肥前産の染付があり、17世紀末~18世紀末以降に生産されたものとみられます。また、瀬戸産の染付も含まれています。

瓦は本瓦葺のもので、例年よりはやや点数が多く全38点(接合は1点と集計)の出土です。内容は平瓦が多く、割れの少ない大きな破片も出土しています。ほかに、丸瓦の小破片が1点、軒平瓦の小破片が2点出土しています。

和釘は、本丸御殿が解体された際の廃棄物とみられるもので、59点の出土がありました。寛永通寶は2点出土しています。

本丸跡の出土遺物写真

3.発掘成果と絵図面との比較

(1)検出遺構の本丸御殿における位置

東側調査区では、下の写真のように、南北方向に連続的に分布する土台列が検出されました。各土台跡の芯々間の距離は約2メートルを測り、各土台跡の東隣には約1メートルの間隔で小ピットが付随しています。このような遺構配置を松川家の絵図面から探すと、御殿西棟の東辺部に存在しています。また、この土台列の位置は、過去の発掘調査結果から推定される西棟東辺部の位置とも合致しています。すなわち、御殿西棟の東辺部の位置が確定しました。

さて、この土台列の東側が前述した段差地形となっている場所です。ここから判明することは、御殿西棟は段差の手前で完結しており、東棟は一段下がった位置に建っていたと考えられるということです。

東側調査区で検出した御殿西棟の東辺部土台列と段差地形の写真
東側調査区で検出した御殿西棟の東辺部土台列と段差地形(北東から撮影)

なぜ、東西の建物で構築面に高低差を生じさせていたのでしょうか。各建物の主な機能の違いに起因するものであったのか、あるいは単に一方を高く構築すべきであるという考えを背景とするものであったのか、この理由は現在の発掘調査状況からは明らかではありません。いずれ、構築面に高低差が存在していたため、西棟と東棟とをスムースに往来するのに渡り廊下が必要だったものと推測されます。

(2)発掘成果と絵図面の重ね合わせ

検出遺構と松川家の絵図面とを合成すると、細部において完全には合致していませんが、概ね次の図のとおりになるものと考えられます。

松川家本丸御殿図と遺構配置図との合成
松川家本丸御殿図と遺構配置図との合成図

昨年度までの発掘調査で、御殿西棟の南辺部と北西部の位置を確定しており、当該部での土台跡の芯々の間隔は約1.94メートル(6尺3寸)でした。この間尺を基準として松川家の絵図面と遺構配置図との合成を試みてきたところですが、土台跡の多い西側ではよく合致する一方、東側ではズレが生じていました。

一方、今年度の調査で新たに検出された土台列をみると、西棟東辺の土台列は芯々の間隔が約2メートルとなっています。1.94メートルと2メートルの違いは僅かですが、距離が長くなるとメートル単位での差を生じます。

前述のとおり、松川家の本丸御殿絵図面は、桁方向に屈曲があることを特徴としています。明らかに屈曲部を境として建築時期に新旧が存在したと考えられます。あるいは、1.94メートルと2メートルの違いは、建築時期によって採用された間尺が微妙に違っていたことを示しているのかもしれません。つまり、実態としては存在していた間尺の違いが絵図面には反映されておらず、このために一律の間尺では絵図面と遺構配置図との間で完全な整合性がとれていないのかもしれません。

4.まとめ

今回は4回目の本丸御殿の発掘調査となり、年々本丸に関する新たな考古学的情報が積み上げられています。今年度の成果として特筆されるのは、新たな御殿の土台列の検出もさることながら、やはり構築面の高低差や起伏が新たに発見されたことが挙げられます。これは平面図からは知り得ない情報であり、本丸御殿の立体的構造の検討に示唆を与えるものと言うことができます。今年度の調査成果をまとめると以下のとおりです。

  1. 本丸御殿西棟の東辺の土台列を確認した。
  2. 本丸御殿構築面に地形の傾斜が確認された。御殿の北辺部付近が北側の段丘崖に向かって緩やかに下がっている。昨年度の調査で御殿の南辺部でも同様の状況を確認しているため、建物部分を周囲よりも高く整地しているものと考えられる。
  3. 本丸御殿西棟と東棟とでは構築面に高低差があることが確認された。東棟は、西棟よりも一段下がった面に建てられていたと考えられる。
  4. 本丸御殿東棟に相当する範囲で焼土遺構を検出した。未確定ではあるが、台所の「カマド」に関係する遺構の可能性がある。

来年度も御殿の東棟の発掘調査を継続して行う予定ですので、これによって間尺の問題を含め、より精度の高い形で絵図面と遺構配置図との合成が可能になるものと期待されます。

発掘を行っている写真
令和4年度 発掘調査の様子
花巻城本丸跡の遺構配置図面
平成30年度~令和4年度 花巻城本丸跡内容確認調査 遺構配置図

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