花巻小学校と花巻城

印刷大きな文字で印刷

ページ番号1001498  更新日 令和5年8月17日

花巻城と花巻小学校

花巻城に関する歴史

16世紀までの花巻地方は稗貫氏の支配下にありましたが、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣しなかった稗貫氏はいわゆる「奥州仕置き」によって滅ぼされてしまいました。その後、花巻地方は南部氏所領となり、花巻城代には信愛(北松斉)の二男秀愛が抜擢されました。しかし、秀愛は九戸政実の乱で負傷したことがもとで8年後に亡くなりました。

花巻は領地南端の拠点として、藩の陸と水を制する重要な位置にあったので、その後の大任は信愛のほかにはいませんでした。
城代となった信愛は積極的に花巻の町づくりを進めました。この10年間で花巻は城下町として大きく発展しました。城内三の丸に重要な家臣を配し、外堀に武士団を形成し、仲小路、御田屋小路としました。また、吹張小路には警備の武士を住まわせ、道路もジグザグにしました。商業化の面でも、四日町や一日市を市場とし、水上交通の船着き場も小舟渡に建設しました。さらに、町民の町づくりとして上八日町や下八日町(今の上町)、大工町(双葉町)、鍛治町の整理なども進めました。現在の花巻に残る地名が多くあります。

信愛(北松斉)の死後、悲しみにくれる領民は松斉の功績に感謝しようと祭典を行いました。これが花巻まつりの興りとされています。

松斉は当時の花巻の町を一望できる場所花巻城で、「明日の花巻」についていろいろ考えていたのではないでしょうか。その城跡に、花巻小学校は建っています。

写真:北松斉の絵
北松斉

hanamakizyousitogakkou

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページの内容は参考になりましたか?
このページの内容はわかりやすかったですか?

このページに関するお問い合わせ

花巻小学校
〒025-0075 岩手県花巻市花城町5番13号
電話:0198-23-2376 ファクス:0198-23-2377
花巻小学校へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。