早池峰山について

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ページ番号1013980  更新日 令和3年3月31日

早池峰山 高さ1917メートル

早池峰山は古くから人々の信仰(しんこう)を集める霊験(れいげん)あらたかな山として有名です。
6月の第2日曜が「山開き」になっています。
「大迫いろはかるた」にも、「信仰(しんこう)と お花畑の 早池峰山」とあります。

呼び方について

古い呼び名(早池峰山と呼ばれる前の呼び名)について

東根岳 / 東子岳 (呼び方はどちらもあづまねだけ)
東岳 (あづまだけ)

「あづまねだけ」から「はやちねさん」に呼び方が変わったのはいつ頃?

大同(だいどう)2年説(807年):早池峰神社に伝わっています
宝治(ほうじ)元年説(1247年):田中神社に伝わっています
慶応(けいおう)2年説(1339年):遠野の登山口に伝わっています

「早池峰」という名前の由来について

アイヌ語からとったのではないか?(2つの言い伝えがあります)

パ・ヤ・チネカ

パは東、ヤは陸、チネカは脚(あし)という意味があります。これは遠野の登山口での言い伝えです。

ア・シュマ・ヌブ

唯一(ゆいいつ)の石の丘という意味です。山頂の開慶水(かいけいすい)の周辺の大きな岩が重なっている様子を表しているのではないかといわれています。

山の形からとったのではないのか?

アズ・マ・ハヤ

アズはがけ、坂の向こう側、という意味です。マは、場の言い方が変わったものです。ハヤは激(はげ)しいという意味なので、「険(けわ)しい所」という意味なのではないかといわれています。早池峰山は、登るのが険(けわ)しい山だったからではないでしょうか。

「疾風(はやち)」の話

昔、沿岸の人達、特に漁師さんは、船で海に出ていて早池峰山が見えなくなると海が荒(あ)れると信じていて、早池峰山は「疾風(はやち)を呼ぶ山」といわれていたそうです。疾風(はやち)というのは、急に激(はげ)しくふく風という意味があります。

開慶水(かいけいすい)の伝説

山頂に開慶水(かいけいすい)という小さな池があって、この池はどんなに暑くても水が枯(か)れる事がなく、またどんなに大雨になっても水があふれることがありませんでした。
しかし、手を入れたり、水を飲んだり、人の影が池に映ると水が枯(か)れてしまいます。水が枯(か)れてしまった時は、修験者(しゅげんじゃ)に頼んで祈願(きがん)してもらうと、すぐ元に戻(もど)ります。このことから、「早地(はやち)の泉」(水が枯(か)れたり、湧(わ)いたりするのが早いという意味です)と呼(よ)ばれました。この事が山の名前になったのではないかといわれていて、この言い伝えが一番有名です。

呼(よ)び方が変わったのではないか?

林-ハヤス-ハヤチネ と呼(よ)び方が変わったのではないか、といわれています。
〔早池峰ダムから見た景色〕池峰山は古くから人々の信仰(しんこう)を集める霊験(れいげん)あらたかな山として有名です。
6月の第2日曜が「山開き」になっています。
「大迫いろはかるた」にも、「信仰(しんこう)と お花畑の 早池峰山」とあります。

早池峰山開山伝説について

早池峰山がどのようにして開かれたのかは、4つの登山口にそれぞれ伝説がありますが、大迫口に伝わっているのは次のとおりです。
昔、兵部成房(ひょうぶなるふさ)という人がいて大変狩(か)りの好きな人でした。大同2年(807年)の3月8日、兵部は、狩(か)りのために東根岳(あづまねだけ) (早池峰山の古い呼(よ)び名です)のふもとまでやってきて、不思議な鹿(しか)に出会いました。その鹿(しか)は、全身が雪のように白く、額に金色に光る星の模様がありました。兵部はこの鹿(しか)を追いかけて、山の頂上まで来たところで鹿(しか)を見失ってしまいました。
やがて不思議なことに、五色(ごしき)のきれいな雲が出てきて、聞いたことのない音楽も流れてきました。そして金色の光の中から、姫神様(ひめかみさま)が姿(すがた)を現したのです。
ちょうどその時、遠野の来内村(らいないむら)の四角籐蔵(しかくとうぞう)という猟師(りょうし) も、やはり同じ鹿(しか)を追って山の頂上に来ていて、二人は姫神様(ひめかみさま)を拝(おが) みました。
やがて姫神様(ひめかみさま)は姿(すがた)を消してしまいましたが、兵部(ひょうぶ) が「雪が溶(と)けたら、ここにお堂(どう)を作って姫神様(ひめかみさま)を拝(おが)むことにしよう」といい、目印として兵部(ひょうぶ)は弓矢を、藤蔵(とうぞう)は山刀(やまがたな)を残して山を下りました。
そして、雪も溶(と)けた6月15日にお堂(どう)を作り「東根嶽明神(あづまねだけみょうじん)」と名づけてあがめることにしました。このお堂(どう)が早池峰神社の始まりといわれています。そして兵部(ひょうぶ)は大迫口の、藤蔵(とうぞう)は遠野口の神主(かんぬし)になったそうです。「大迫いろはかるた」にある「その昔 神鹿(しんろく)追うて 兵部郷(ひょうぶきょう)」というのは、この伝説のことを表しています。

早池峰山の指定と保護(ほご)について

早池峰山やその周りでは、次のような保護(ほご)と指定があります。登山の時は十分気をつけましょう。

国定公園早池峰

1982年(昭和56年)に国定公園の指定を受けました。

自然環境保全地域

1975年(昭和50年)に早池峰山の北西側(がわ)の1370ヘクタールが自然環境保全地域の指定を受けました。

早池峰鳥獣(ちょうじゅう)保護(ほご)区

6118ヘクタールが指定されています。このうちの2442ヘクタールは、鳥獣(ちょうじゅう) 特別保護(ほご)区となっています。

特別天然記念物「早池峰山高山植物帯」

1928年(昭和3年)河原(かわら)の坊(ぼう)コースの上の部分約40ヘクタールが、国の天然記念物に指定されました。さらに1957年(昭和32年)には、特別天然記念物に昇格しました。1974年(昭和49年)には、1300m以上の高さ2,573ヘクタールの区域に拡張(かくちょう)されました。

天然記念物「アカエゾマツ自生(じせい)南限地」

1975年(昭和50年)に、早池峰山の北斜面(しゃめん)の6.92ヘクタールが国の天然記 念物に指定されました。

保安林(ほあんりん)

早池峰山と周りの地域は保安林(ほあんりん)(土砂(どしゃ)が流れ出るのを防ぐための林や、水源(すいげん)のための 林を守ることです)の指定を受けています。

早池峰山の登山コースについて

河原(かわら)の坊(ぼう)コース

岳-河原(かわら)の坊(ぼう)-頂上
「正面コース」とも呼ばれます。距離(きょり)は一番近いのですが、傾斜(けいしゃ)がきついので落石(らくせき)などに注意しましょう。

小田越(おだごえ)コース

岳-河原(かわら)の坊(ぼう)-小田越(おだごえ)-頂上
「河原(かわら)の坊(ぼう)コース」に比べると時間はかかりますが、高山植物の群落(ぐんらく)をゆっくり見ることが出来ます。8合目辺りに「鉄のはしご」があります。

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