総合文化財センター常設展示室の期間展示コーナーを更新しました
常設展示室に期間展示コーナーを開設しました
「早池峰の自然・文化・歴史・人」「埋蔵文化財」の二つのテーマから、企画展などで紹介した資料を展示します。
期間展示は、3か月程度で展示替えを行います。ぜひ、ご覧ください。
令和8年度の予定
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期間 |
期間展示コーナー1 早池峰の自然・文化・人 |
期間展示コーナー2 埋蔵文化財 |
|---|---|---|
| 6月から8月 | 文化財センター収蔵資料(南部凧絵) | 安俵6区遺跡(東和地区) |
| 9月から11月 | ベルンドルフ市関係資料(食器類) | 屋敷遺跡(大迫地区) |
| 12月から2月 | たばこ史料館関係資料(帳簿類) | 法領遺跡(花巻地区) |
| 3月から5月 | 山岳博物館関係資料(登山道具) |
上好地遺跡(石鳥谷地区) |
期間展示コーナー1 早池峰の自然・文化・人
旧山岳博物館の収蔵品 -登山靴編-
日本に登山靴が伝わったのは、明治期に欧米の近代登山が紹介された頃だとされています。当時の日本では、まだ草鞋(わらじ)が主流でした。
日本で登山靴が広まるきっかけとなったのは、1921(大正10)年に槙有恒(まきありつね)がアイガー東山稜(さんりょう)の初登攀(はつとうはん)に成功して帰国したことや、同年に大阪のマリヤ運動靴店が登山靴の輸入販売を開始したことによると考えられています。
当時の登山靴は大きく二種類に分けられました。一つは靴底に鋲を打った「鋲底靴」、もう一つはゴム底を縫い付けた「ゴム底靴」です。
鋲底靴には、クリンカー、ムガー、トリコニーなど、形状の異なる鋲が用いられていました。一方、ゴム底靴には、イタリアで開発されたゴム底「ビブラム」を貼り付けたり、ビスで固定したりしたものがありました。ビブラムはもともと商品名でしたが、やがてゴム底の代名詞として広く用いられるようになります。
期間展示コーナー2 埋蔵文化財
縄文時代後期の集落跡
安俵(あひょう)6区遺跡は、東和総合支所から南西に約500mの場所にあります。東和町安俵地区は周囲を丘陵(きゅうりょう)山地に囲まれた盆地(ぼんち)状の地形で 南側には猿ケ石(さるがいし)川が東から西へ流れています。この遺跡では「道の駅とうわ」周辺の開発工事や県道北上・東和線の道路拡張(かくちょう)などで平成7・9~11年に発掘調査が行われました。
調査では、縄文時代後期(約4,000年前~3,500年前)の環状配石遺構(かんじょうはいせきいこう)(石を円形に並べた住居状のもの)が8基(き)、土器捨て場、江戸時代以降の水路跡が10条(じょう)見つかりました。遺物は土器捨て場で主に見つかり、縄文土器や石器、土製品や土偶、動物や魚の骨など収納用のコンテナで390箱も出土しました。他に石器を作る際に剥離(はくり)した石核(せきかく)や剥片(はくへん)など約300kgも見つかりました。石鏃(せきぞく)が約1,100点と他の石器に比べて突出(とっしゅつ)しており、ここで石鏃を制作していたのかもしれません。土器をそのままま小さくした形態(けいたい)をもつミニチュア土器も破片を含めると約300点出土しており、一部には赤い漆(うるし)を塗(ぬ)った朱(しゅ)塗りのものもあります。これだけまとまった量が出土しているということは環状配石遺構や沼の周辺で何らかの祭祀的(さいしてき)な儀式(ぎしき)やお祭りなども行われていたのかもしれません。
安俵6区遺跡周辺は大昔の言い伝えで、大沼がありところどころに中島があったとされています。縄文時代は沼で魚や貝などを捕り、いつのころか猿ケ石川の流れも変わり、大沼も干潟(ひがた)や谷地(やち)に変わっていき、後の時代は人々を育(はぐく)む穀倉地帯(こくそうちたい)へと変化し用水(ようすい)を設(もう)け水路を引き、耕作しやすい水田に形を変える努力をしていったものと見られます。
今もむかしも豊富な水源で人々の暮らしを豊かにしています。
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花巻市総合文化財センター
〒028-3203 岩手県花巻市大迫町大迫第3地割39番地1
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