萬鉄五郎について

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ページ番号1001985  更新日 令和3年6月2日

写真1
茅ヶ崎海岸の萬鉄五郎

萬鉄五郎とは

萬鉄五郎は、1885(明治18)年11月17日、花巻市東和町土沢に生まれました。記念美術館に近い「八丁(屋号)」がその生家です(現在、当時の面影はない)。幼少期より水墨画を、また16歳の時に大下藤次郎の手引書により水彩画を独学で始めました。
1903(明治36)年萬は上京し、次いで1906(明治39)年渡米、そこで短期間ボーイとして働きますが年末帰国。1907(明治40)年、萬は東京美術学校入学。そして卒業制作の《裸体美人》(国重要文化財)で画家としてデビューします。彼は近代日本絵画に新時代をもたらした青年画家のグループ「フュウザン会」に加わり、荒々しい強烈な色彩と大胆な筆触による自身の近代的な画風を展開させました。
萬は1914(大正3)年秋から、絵画制作に専念するため故郷の土沢に帰り、新しい方向へと進みました。色彩は多彩からモノクロームへと変化し、キュビズムのような多視点による形態の簡略化が明らかになってゆきます。「この時はずいぶん勉強した。何も見も聞きもしない。二科会も始まった様であったがそんなものを見たいとも思わなかった。秋から冬、春から夏という風にどんどん描いた。」と言っているように、郷里土沢という美術動向とは無縁の地で隔絶した状況に身を置き、キュビスム的に実験を試みます。この集中的な実験の後、萬は再び上京します。1917(大正6)年からはあふれんばかりの作品制作を行い、同年の「日本美術協会」展に土沢で制作した作品を、また二科会展には萬の主要なキュビスムの仕事である《もたれて立つ人》(東京国立近代美術館蔵)を出品しました。
萬は神経症と結核のため1919(大正8)年、神奈川県茅ヶ崎に療養のため転居します。1年後健康を取り戻し、まもなく画風が変化し始め、関心も次第に日本の伝統絵画に向かいました。油彩画のほかに南画(水墨画)を描き、伝統美術の解釈は彼の洋画にも反映してゆき、南画と洋画が融合した萬ならではの表現が生まれました。
彼の短い生涯の間に、西洋の新しい美術運動、後期印象派、フォーヴィスム、キュビスムが日本に紹介され、若い画家たちに影響を与えました。萬もそのひとりで西洋の新しい絵画の傾向を実験しました。しかし彼はそれを模倣することには満足せず、それを吸収し、彼の内面を具現した自身の絵画を確立しました。

主な収蔵作品のご紹介

萬鉄五郎「軽業師」

写真2:軽業師


萬鉄五郎「軽業師」
1912(大正元)年頃、油彩・板、33.0×24.0センチメートル
女性が入ったタライを、袴姿の女性が足で回しています。美術学校を卒業して間もない萬が足しげく通ったという浅草の、サーカスの曲芸を題材にした作品です。目を引く鮮やかな赤や、極端に単純化された人体、荒々しい筆づかいなど、まさにフォービスムの影響を強く受けて描かれています。軽業師たちが後ろの人物よりも明らかに大きく描かれていることからも、萬の関心が、動いている人体に強く向けられているのがわかります。小品ながら、萬らしい力強さと構成力が目を引く作品です。

萬鉄五郎「丘のみち」

写真3:丘のみち


萬鉄五郎 「丘のみち」
1918(大正7)年、油彩・画布、40.6×45.9センチメートル

この作品は、1919(大正8)年、第16回太平洋画会に出品し、石井柏亭が「内臓の模型のような」と評した作品と思われます。キュビスム的な展開をみせていた萬の特徴がうかがえる作品です。草原や道の自然な形態は、芋型状の単純な幾何学的形と色面に単純化され、光による明暗表現は極力排されています。大地に宿る精がドクドクとうごめいているかのような、独特の幻想的風景となっています。また、この風景は当美術館が建つ郷里・土沢の「舘山」の風景といわれています。

萬鉄五郎「松林」

写真4:松林


萬鉄五郎「松林」
1922(大正11)年頃、紙本淡彩、60.5×66.0センチメートル

1919年病気療養のため神奈川県茅ケ崎に移り住んだ萬は、それまで独自の表現確立のため苦悩し続けてきた突破口として、伝統的東洋美術の一つである文人画(南画)に自らのスタイルとの共通点を見出します。画面全体は萬独特のリズミカルなタッチで描かれ、風のざわめきや郵便配達夫の鼓動が聞こえてくるような、時間的振幅が感じられる世界を創り出しています。また、どこかしらコミカルな画面構成となっているのも萬の独自性といえます。

萬鉄五郎「湘南風景・茅ヶ崎」

写真5:湘南風景・茅ヶ崎


萬鉄五郎「湘南風景・茅ヶ崎」
1926(大正15)年頃、油彩・画布、33.3×45.3センチメートル

湘南海岸から松の林を縫って流れる風が、心地よい陽だまりをつくっているような風景です。軽妙な曲線で形づくられた空に浮かぶ雲や木々の葉は、軽やかでリズミカルな筆のタッチで描かれ、ここにも文人画の影響が色濃く見られます。しかし、軽やかな筆致とは対照的に杭や家々は構築的な直線で描かれています。直線と曲線の組み合わせも茅ヶ崎時代の特徴の一つといえます。

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このページに関するお問い合わせ

萬鉄五郎記念美術館
〒028-0114 岩手県花巻市東和町土沢5区135
電話:0198-42-4402 ファクス:0198-42-4405
萬鉄五郎記念美術館へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。