日本の新学校(小原國芳先生著)より

印刷大きな文字で印刷

ページ番号1012375  更新日 令和2年6月16日

「日本の新学校~岩手県大迫小学校」より抜粋

昭和5年 小原 國芳先生著 玉川学園出版(小原國芳先生は玉川学園創始者です)

はしがき

東北本線石鳥谷駅から右手に数里、名のごとく大迫で、谷間の町である。私が始め、校長の菅原兄に招かれて、講演に行ったのは冬休みであった。まだ自動車もなく、駄馬の上に布団をしいて乗せてもらって、全く凍えるようだった。厚い氷の破片でいっぱいになっている北上川を横断し、泥濘の田舎道を急いだものでした。

寂れた町。大きな古風な家の多い町。東北にありそうな田舎らしい町。校舎も山村らしい校舎。町長さんの家に泊めてもらった。コタツのありがたさは、初めてわかる。講習員の方々、コタツに当たりながら、あるいは大きな暖炉でたき火をしながら、夜を深くして、教育を、人生を、結婚論を、宗教を互いに論じた楽しさは未だにありがたい。

学校は「よく、やっていられるなあ」とただ感心した。子供達へも話をさせてもらう。帰るとき、子供達は村境まで送ってくれる。

三度、行った。大迫の町へは。二度目は授業もよく見せてもらった。その子供の真剣さ、先生方の熱心さ。子供のできばえ。私は、お世辞を抜きに町長へも、町民の方へも、子供にも「自分の町の学校のえらさ」を、「自分のえらさ」を知ってもらいたいとお願いしたわけである。世間にも常に紹介するわけである。

ペスタロッチ記念祭に当たり、帝国教育会が、氏を岩手県を代表して推薦したのは当然である。さて、校長菅原氏自身のペンになるところに傾聴しよう。

 

学校経営の実際 校長 菅原隆太郎

第一 教育の綱領

児童の自覚に基づく、自由にしてしかも責任ある自己実現を本とし、児童の息腹心(知徳体)を調和的に発達せしめ、児童の自疆自育によりて寒暑風雨にめげず、病魔に冒されざる強靱なる身体の所有者ならしめたい。

児童の自学自修によりて、明確にして応用自在なる知能、創作工夫の力を遺憾なく発揮せしめたい。

児童の自律自治によりて、純真にしてかくすところなく、改善これつとめ、豊かなる趣味を有し、心広く胸暖かく、美を愛し、自然に親しみ、神を敬いかつ感謝する児童、しかも伸び伸びした児童であらせたい。

そして、互いに相干渉し、寛容し、協力し、忠告し、相批評し、相護りてもって人の子として、家族の寵児として、学校の一生徒として郷土の一員として、国家を組織する一細胞として、皇家に封する一臣民として真によい子供であらせたい。

これがためには、教師は自らの信念を確立し、品位を確保し、忠実に執務し、十分に研究し相互に寛容して、真に児童を愛敬し理解し承認し、またよき相談相手となりて、もって之を導きつつ自らを向上せしめ、できるだけ児童の環境を優良ならしめて、もって之が心身の発達を十分ならしめんことに努力しなければならぬ。

第二 主たる施設並びに行事(以下、文章は省略)

知育

学習に対する指導方針

児童学習の方法

一時限における学習の時間および時間割

研究室の設備

農業実習地

模擬信用購買販売組合

お話の会

促進教育

創作品展覧会

努力児童の表彰

美育

学校劇

その他

訓育

児童訓育の要諦

訓育施設と行事

体育

衛生講話

頭蝨駆除

体育運動の統一とその発達

遊技の奨励

運動大会と体育デー

藤田式息心調和法

海浜学校

学校を中心とした社会事業

敬老会

花の会

幼稚園

第三 大迫実業補習学校

第四 職員

第五 結語(終わりの部分のみ)

思うに、その家庭に是非なくてはならぬ中心人物で、努力の続く、勤労を尊ぶ青年がほしい。そうした青年が中心となって奮闘努力するときは、衰弱しつつある家も、乱れかかった人心も必ず矯正していけると思う。現にその例を二、三見ている。生きた力のある青年を心に描きながら一歩一歩進んでいく決心である。

生きた教育、力のある教育、ホントの教育は子供の直接経営を基礎とせねばならぬことは言うまでもない。学校は子供を教育するのが主であるから、読む、算術その他規定されている学科は少しも怠ってはならない。しかし、荒廃する農村の復活のために、我々は社会化しなお努力を続けたいものである。すべての事業はその効果を想像して着手せねばならない。想像の効果の上がらない事業は、いかに膨大な費用と非常な熱心を注いでも、それだけの効果はないと言わなければならない。

 

むすび

ダルトンプランとか、成城や小原に関係あるとか、あるいは自学とか自由と言えば、たいていは毛嫌いされる。それに評判が高くなればなるほど、ケチ臭い連中がかれこれ言うのも当然である。世間からは、新学校と言えば派手なもののようにも見えよう。実は、この本の表題が悪いかもしれない。新学校よりは「真学校」「ホントの教育」といった方がよいのだが。

それほど、大迫の学校は、菅原氏の学校は、むしろ地味である。真剣である。保守的なことを言って新しいことをけなす人たちに見せてやりたいものである。

真剣、自学、自律、研究、努力、友愛、共同、修養、社会化・・・といったようなことは少なくとも大迫校の特色である。ことに、言い落としてはならないことは、そんな方面の言うことを、むしろ少し取り過ぎたと思うほど、努力して、注意深く採用し、応用し、実施しておられることである。全く感心するほかはない。

菅原校長を今少し詳しく紹介しよう。謙遜と言うことが第一に頭に響く。この本に載せてもらうのも、氏はいたく謙遜された。ホントにこういう人だけに「新教育」をやってもらいたい気がする。努力、忠実、瞑想、内省はたしかに氏の尊さである。氏の風采はそれを表している。そして読書人である。買っては読み、読んでは考え、よかったら応用する人である。そして、若い訓導達へ読むべく回す。私はやはり、日本の校長達へ読書を勧める。頭を広めて深めて改めてほしい!

純朴な、まじめな、しかも進取的な町長。これはたしかに、大迫教育の幸福の一動力である。こういう町長、村長が全国にほしい。菅原氏や先生方が町議員と融和している、正しく美しい模範村である。

職員の熱心。みなが菅原校長の徳に化せられている。全校あげて、数日間、東京まで、連続参観なぞされる熱心は、参観される方がうれしい。研究、共同、実行、努力、ただただ感謝である。

町民。かつて、水沢に講演に行ったときである。ぜひ一晩泊まりできて父兄に話してくれとのことであった。夕景から汽車と自動車で出かけた。たった一汽車先に帰った先生の宣伝で、町民あげて、夜は公会堂の二階にいっぱいであった。この熱心。大迫教育の原動力のまた一つである。もう親の醒める時である。日本の親が早く、早く、こうなってほしい。

子供の発憤。私はこれも数え上げたい。そして、私のささやかなる修身訓話の功もうぬぼれさせていただきたい。私にはこの生徒が、自分の学校の生徒のような気がする。三度も行くと、子供の幾人かの顔を記憶している。

夏の講演旅行に上野駅に駆けつけると、一駅夫が寝台車まで来て「先生」と挨拶してくれる。誰ですかと問えば、大迫の菅原さんの、また同時に私の生徒の一人であった。いつも夏に旅行をするのを知っていて、寝台券係の帳簿を毎日調べていたのであった。感謝である。

これをしも、見もしないでかれこれと冷たい難癖ばかりをあげる学者。人の主張や講演も聴かないで口さがなき批評をする役人。人のえらい評判をねたみ、何かケチを言うものがあると手をたたいて喜び、そのくせ自分はろくに研究もしない学校屋。いずれは地獄行きである。

大迫の先生方、やってください!

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページの内容は参考になりましたか?
このページの内容はわかりやすかったですか?

このページに関するお問い合わせ

大迫小学校
〒028-3203 岩手県花巻市大迫町大迫第18地割3番地
電話:0198-48-2226 ファクス:0198-48-4146
大迫小学校へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。