賢治と仏教

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ページ番号1003950  更新日 平成31年1月18日

賢治と仏教の出会いは、10歳の時に大沢温泉で父が主催した仏教会に参加した事から、という説もあります。幼いころ、伯母のヤギに子守歌のように聞かされていた「正信偈」や「白骨御文章」を仏前で暗唱したり、また、父も仏教会を主催するなど、仏教の素地は家庭環境から作られていましたが、真に仏教に目覚めたのは、中学3年の時に浄土真宗の願教寺で開かれた夏期仏教講習会に参加したころでした。以来、毎年参加して、住職で仏教学者の島地大等の法話に聞き入りました。
盛岡中学を卒業した後、病気、入院、将来の進路をめぐる父との対立などですっかりノイローゼ状態になっていた賢治は、島地大等編の「漢和対照妙法蓮華経」と出会い、強い衝撃を受け、のちの一生を決定するほどの契機になったと言われています。
トシの病気の際、看病のために行った東京で田中智学の講演を聞いたことがきっかけで、田中智学の創設した在家宗教団体、国柱会に入会し、死ぬまで会員を通しました。日蓮思想に傾倒していった背景には、浄土真宗に深く帰依していた父との対立があったとも言われていますが、国柱会は、賢治と彼の作品の上に大きな影響を与えました。

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