御所ケ館
御所ケ館(和賀稗貫郷村志ほか)
亀ケ森のはずれ、県道石鳥谷-大迫線沿いに、庄田茶屋というバス停がある。その北側の山手には「御所ケ館」と呼ぼれる館跡があり、山上にニケ所の井戸跡と伝わるくぽみが残っている。その井戸の周りには石垣を築き、平坦に整地された場所に稲荷大明神が祀られている。
周囲には深い空堀の跡や、人工的に造られた段がいくつもあり、戦国時代の山域の形を残している。しかし、この館は実際には防御のために造られた城というよりも、支配老の屋敷跡という性格のものであった。
この御所ヶ館の最後の城主は衣更着掃部(きさらぎ かもん)いう。この衣更着氏の没落にあたっては、こんな伝説がある。
応仁・文明(1467-86)の、ある年の九月二十九日のことである。このあたりでは、この日は「九日の祝宴」といい、餅をついて盛大に祝うため「九日餅」ともいっていた。もちろん、お域でも城主以下城中の者全員が、家老の佐藤因幡守(六助)の屋敷に集合して、盛大な祝宴を催していた。
ところが、宴もたけたわのころ、この問隙に乗じて、清原武則の後裔と称図書(あるいは広光という)なるものが突如として、いずこよりか多勢の家来を引き連れて、難なくこの城を落城させてしまった。それ以来、この地域においては九日餅の行事は、その前日の九月二十八日に行うことにしているという。
掃部はその後どうたったかは伝わっていないが、掃部の妻は尼として出家し、京都へ上って木願寺九代実如上人の弟子となり、妙祐尼と名乗った。その後、妙祐尼は当時亀ケ森の鉢にあったという妙琳寺に、実如上人の御判印を押した「阿弥陀如来真向絵像」の掛軸を京都より送り届けた。下町の妙琳寺にはこの掛軸が今も伝わっており、寺では届けられた時をもって開山としている。その後、妙祐尼は一人で故郷に向かうが、陸を通ったのか、海を通ったのか、ついに家には戻らず行方不明になつたという。
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