花巻城跡二之丸南御蔵跡内容確認調査の結果をお知らせします

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ページ番号1002078  更新日 令和6年3月7日

花巻市が平成27年度に取得した花巻城跡二之丸南御蔵跡付近の土地につきまして、花巻市教育委員会では内容確認のため発掘調査を実施しました。2年間にわたる発掘調査の結果をまとめてご紹介します。調査期間と調査面積は次のとおりです。

平成28年度:平成28年11月から12月、650平方メートル
平成29年度:平成29年10月から11月、665平方メートル

花巻城二之丸と南御蔵について

調査地点は、花巻城跡の二之丸に位置しています。二之丸の規模は東西360メートル×南北150~200メートルで、面積は約50,000平方メートルです。江戸時代末期の花巻城跡の絵図によると、二之丸には公的機能を持つ施設が集約されていることが分かります。施設には、花巻城代の屋敷である御役屋(おやくや)、武芸鍛錬の稽古場(けいこば)、花巻の町に時を告げる鐘楼(しょうろう)、和賀・稗貫二郡から集められた年貢米を保管する南御蔵(みなみおくら)があり、周囲は堀と土塁(どるい 注1)によって守られています。

このうち、昨年度から今年度に調査を実施している場所は、南御蔵の東側部分に当たります。また、現在は失われていますが、二之丸への東側の虎口(こぐち 注2)となる東御門とこれに付随する枡形(ますがた 注3)を構成していた土塁部分も調査区に含まれています。

南御蔵の建設時期は、盛岡藩の家老日誌『雑書(ざっしょ)』の慶安2年(1649)に二之丸の御米蔵建築のことが記述されているので、ここまで遡る可能性があります。この建物は『雑書』享保6年(1721)に川口町を火元とする火災の記述があり、その際の飛び火で一部を焼失しています。また、江戸時代末期の花巻城絵図には南御蔵の平面図を描いたものがあるので、火災後は再建されたことが確認できます。

  • 注1:土塁(どるい)とは、城館の防御のための土手のこと。
  • 注2:虎口(こぐち)とは、城館の出入り口のこと。狭い道・狭い口という意味がある。「小口」とも書く。
  • 注3:枡形(ますがた)とは、一般には敵が城内へ進入するのを遅らせるため設けられた城門内側の四角い空間のことを言うが、花巻城跡の東御門の場合は、道を直角に2度曲げて、敵が進入し難いようにしている。

地図1:花巻城之図(江戸時代末)

地図2:二之丸の調査場所の図

発見された主な遺構

表土を取り除いて、花巻城時代の地層まで掘り下げて調査を行いました。ここでは、南御蔵に関係する遺構(建物の痕跡など)について紹介します。

集石遺構 ―南御蔵の建物基礎―

これは、内部に石が多量に入っている穴や、石が集中して検出された地点のことです。調査区の西縁部で発見されました。3か所に大きいまとまりがあります。形状は円形で、直径は2.4から3.0メートルです。全体の分布は長さが約14メートルで、南北方向に直線的に並んでいます。これらは、南御蔵の建物礎石を安定させるため下に敷かれた「栗石(ぐりいし)」と考えられます。

写真1:集石遺構群の全景

写真2:集石遺構の一つ

イラスト:集石遺構のイメージ図

焼土粒・炭化物粒分布範囲 ―江戸時代の火災の痕―

焼土粒と炭粒が広がっていた範囲です。集石遺構の東側2メートルの地点で発見されています。集石遺構の分布と平行しており、全体の長さは南北で約30メートルあります。幅は1から1.5メートルです。分布の北端部分では、直角に曲がって西へ延びています。

この焼土粒・炭化物粒を調べると、中に炭化米が含まれていました。南御蔵に納められていた年貢米が焼けたものとみられます。また、分布の北端部分では下から複数の小さい穴が並んで発見されました。これらは、蔵の周辺の板塀や柵などの区画施設であった可能性があります。穴の内部には焼土や炭粒のほか、焼けた土壁の破片が多量に混入していました。土壁の破片は、南御蔵の壁が崩落したものと考えられますが、熱を受けて固く焼けているため、火災の際に被害を受けたものとみられます。

このように、焼土粒・炭化物粒分布範囲は、『雑書』に書かれた享保6年の火災被害を如実に物語る遺構と考えられます。

地図3:焼土粒・炭化物粒分布範囲(平成29年調査)

地図4:焼土粒・炭化物粒分布範囲(平成28年調査)

地図5:焼土粒・炭化物粒分布範囲の下から見つかった穴

写真6:炭化米

白色粘土分布範囲 ―南御蔵周辺の整地作業―

白い粘土が広がっていた範囲です。集石遺構の東側2メートルの地点で発見されています。焼土粒・炭化物粒分布範囲と同様の分布を示しています。全体の長さは南北で約34メートルあります。やはり、分布の北端部で直角に曲がって西へ延びています。

この白い粘土は、調査場所周辺では1メートル以上深く掘らないと出てこない土です。したがって、別の場所で掘った粘土を持ってきたものということになりますが、集石遺構の周辺だけでみつかります。よって、南御蔵を建設する際に、特にその周辺部の整地に使われた粘土と思われます。

写真7:白色粘土分布範囲

発見された主な遺物

花巻城時代の南御蔵に関係するものとして、「いぶし瓦」という灰色の屋根瓦の破片が数点出土しています。ほかに、和釘や土壁の破片が出土しています。特にも土壁の破片は、南御蔵が土蔵であったことを示す貴重な発見です。これには稲藁状の植物が含まれており、壁土の中に練り込んだ?(すさ)とみられますし、壁の下地材である木舞(こまい)の痕跡も確認できます。また、前述のとおり南御蔵に入っていた年貢米が炭化して出土しました。

そのほかの遺物は、近世以前のものには16世紀末頃の中国産磁器、16世紀末頃の瀬戸美濃の皿があります。花巻城時代のものには肥前産の磁器破片や東北地方産の陶器破片、寛永通宝があります。

写真8:陶磁器とかわらけ

写真9:瓦・陶磁器・釘など

写真10:いぶし瓦

写真11:土壁破片

調査のまとめ

2年間の調査によって、調査区の一帯が良好な保存状態にあることが判明しました。遺構については、南御蔵の跡や蔵周辺部の施設などが見つかりました。また、火災の痕跡も発見され、『雑書』の記述が裏付けられた形です。なお、今回の調査区は東御門の枡形に伴う土塁が存在していた場所でしたが、その痕跡を確認することはできませんでした。出土遺物については、屋根瓦、土壁破片、炭化米など南御蔵に関係する重要な発見がありました。

今後は発掘調査成果を精査し、文献史料や絵図面の情報も加味して総合的に南御蔵について検討を行って参ります。

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