花巻の遺跡(43)「観音堂遺跡」を紹介します

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ページ番号1023685  更新日 令和7年6月5日

花巻の遺跡紹介(43) 観音堂遺跡

遺跡の概要

所在地

花巻市大迫町第10~12地割

時代

縄文

出土遺物

縄文土器(中期・後期・晩期)、石器

出土遺構

竪穴建物跡・炉跡・陥し穴・配石遺構

報告書

○大迫町埋蔵文化財報告第5~11・20集
観音堂遺跡第1次~7次発掘調査報告書

遺跡範囲です
遺跡範囲

解説

観音堂遺跡(かんのんどういせき)は花巻市大迫町(おおはさままち)にあります。大迫総合支所から北西約400m、標高(ひょうこう)約174mから160mのブドウ畑などが広がる北から南へ張(は)り出す台地(だいち)上に立地しています。全体で約15万平方メートル以上の面積があります。
この台地の縁辺部(えんぺんぶ)には、縄文時代中期(ちゅうき)後半から後期(こうき)前半頃の竪穴建物跡群(たてあなたてものぐん)(住居跡群)が並び、一方の台地中央には遺構のほとんどない広場がつくられ、『環状集落(かんじょうしゅうらく)』だと考えられます。遺跡内には、300から400棟(とう)ほどの住居跡が埋(う)もれているとみられ、岩手県内では最大級の集落跡です。縄文時代の中期後半の住居跡には、「複式炉」(ふくしきろ)がつくられています。複式炉とは、住居の中央から壁際(へきぎわ)にかけて複数の炉が連(つら)なる構造(こうぞう)のものをいいます。この炉跡を持つ住居跡群は、その出現期(しゅつげんき)から消滅期(しょうめつき)までのものを見ることができ、複式炉の用途(ようと)・性格(せいかく)を考える上で大変貴重(きちょう)です。また、出土した縄文時代後期前葉(ぜんよう)(約4,000年前)の土器群は、「観音堂式土器(かんのんどうしきどき)」と呼ばれ、縄文時代の北上川流域(りゅういき)の土器指標(しひょう)となるものであり、全国的にみても注目度が高い遺跡です。

第1号住居跡です(1979・80年調査)
第1号住居跡(1979・80年調査)

観音堂遺跡シート1-1

観音堂遺跡シート1-2

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このページに関するお問い合わせ

花巻市総合文化財センター
〒028-3203 岩手県花巻市大迫町大迫第3地割39番地1
電話:0198-29-4567 ファクス:0198-48-3001
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